世界的な社会福祉の流れ
社会福祉にも歴史があります。その世界的な流れを見ていきましょう。
社会福祉の起源と呼ばれるのは1601年にイギリスで実施されたエリザベス救貧法です。しかし貧困者の救済を掲げたこの法律は、救済対象を労働可能貧民、無能力貧民、児童に分類し、労働可能なものを無理やり働かせるというものでしたので、本来の目的が治安維持だったこともあってか、あまり芳しい成果は上がりませんでした。
農業革命と工業化により新たに無産農民が生み出されるようになると、1834年にはこれに対応するためエリザベス救貧法が改正され、新救貧法が制定されます。しかし救済は全国統一の基準より低かったため(安い給料で無産者を労働者にする)、かえって資本家と労働者の対立の火に油を注ぐことになります。
やがて1869年になると、様々な慈善団体の活動を組織化するために「慈善救済組織化及び乞食抑制のための協会」が創設され、翌1870年にはCOS(慈善組織協会)と改名されます。これは慈善の濫救や漏救を防ぐためのもので、あくまでCOSによる援助の対象は「援助に値するもの」であり、選別主義の色合いの濃い活動ではありました。
このような国家や組織的な救済事業の裏では、セツルメント運動と呼ばれるものが次第に盛り上がってきます。貧困は社会的な欠陥であるため、社会を改良しなければならない。そのために持てる者と持たざる者が一緒に生活して相互に助け合おうとする考え方です。1884年、バーネット牧師夫妻がイギリスに設立したトインビー・ホールがセツルメント活動の先駆的なものとなります。アメリカではジェーン・アダムズらが1889年にハルハウスを開設し、徐々に世界中に広がっていきます。
状況が変化したのは19世紀末から20世紀初頭にかけての貧困調査です。C.ブースの『ロンドン市民の生活と労働』はロンドン市民の約3割が貧困線以下の生活状況にあり、その原因は雇用問題にあると喝破しました。また、ラウントリーがヨークで行った調査は『貧困―都市生活の研究』として発表され、所得が生活水準を大きく下回るものを第1次貧困、所得が生活を維持するぎりぎりにあるものを第2次貧困として分類しました。調査が行われた結果、これまでは貧困=個人の責任として捉えられていたのが、貧困=社会の欠陥として社会問題化するようになりました。
1905年、救貧法及び貧困救済に関する王立委員会が設立され、1909年には「救貧法及び貧困救済に関する王立委員会報告」(多数派報告)と「分離報告書」(少数派報告)が提出され、救貧法を改良するか解体するかで論争が起こります。直接的な成果には結びつきませんでしたが、ナショナル・ミニマムの考えが提出されるなど、その後の福祉を考える上で非常に重要な出来事です。
また、1911年には健康保険と失業保険を両輪とする国民保険法が制定され、1929年には救貧法が実質的に廃止となる「地方自治法」が保健大臣チェンバレンによって議会に提出されました。地方自治体はこの法律にしたがい財源バランスの調整を行い、公的扶助委員会による貧困者の救済が可能となりました。
その後の社会福祉に関する試みで最も影響力を持っているのは、1942年のベヴァリッジ報告でしょう。ベヴァリッジはイギリスにおける福祉のスローガン「ゆりかごから墓場まで」や、貧困の原因となる5つの巨人(貧窮、疾病、無知、不潔、態度)に対する社会システムを提案しています。これをきっかけに1944年に国民保険省が創設され、その後も様々な制度が法制化されるに至ります。こうしてイギリスの福祉は世界各国の見本となりました。
日本の福祉の歴史
日本の福祉制度は以前のLessonでも取り上げた聖徳太子の四箇院に始まります。その後も江戸時代には都市部で救済制度が、農村部で相互扶助の制度が発達し、やがて明治に入り恤救規則が制定されるに至ります。
昭和に入ると軍隊強化目的で人的資源の確保と健民健兵政策が進められるようになりました。日本の厚生事業は軍事と深く関わりがあるのです。1937年に軍事扶助法が制定された後は、1938年の国民健康保険法、1941年の医療保護法などが制定されるようになります。
戦後になると児童福祉法、身体障害福祉法(1949年)などが制定され、福祉三法体制が成立する運びとなりました。後日、精神薄弱者福祉法、老人福祉法、母子福祉法を含む福祉六法体制が成立したのですが、このときすでに1964年、戦後20年近いときが経過していました。
最近では「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン、1989)や、「新・高齢者保健福祉推進十か年戦略」(新ゴールドプラン、1994)、「今後5カ年間の高齢者保健福祉政策の方向」(ゴールドプラン21、1999)などの計画が策定されています。
児童施策については「今後の子育て支援のための施策の基本的方向について」(新エンゼルプラン、1999)やその後継である「少子化社会対策大綱に基づく重点施策の具体的実施計画について」(子ども・子育てプラン、2004)、「新たな少子化社会対策大綱」(子ども・子育てビジョン、2010)などの政策が打ち立てられています。特に「新たな少子化社会対策大綱」は少子化対策ではなく「子ども・子育て支援」に重点を置くチルドレンファーストの視点を持ち出した点で意義深い施策です。最近では待機児童解消対策として「国と自治体が一体的に取り組む待機児童解消『先取り』プロジェクト」(2010)、またそれを加速させるための「待機児童解消加速化プラン」(2013)が策定されたりもしています。