児童養護の歴史
日本の社会的養護の始まりをどこに見出すか。
これはなかなか難しい問題なのですが、やはり飛鳥時代、聖徳太子の時代に求めるのが無難でしょう。聖徳太子は四天王寺建立時に四箇院という施設を設置し、その中の1つである悲田院では子どもの救済が行われていました。
律令における基本的条文を戸令(こりょう)といい、その中の鰥寡条(かんかじょう)と呼ばれるものの中には、要援護対象者を鰥寡(かんか)、孤独(こどく)、貧窮(びんぐ)、老疾(ろうしち)の4種に分類しています。その中で16歳以下の父のいない子どもは「孤」として挙げられていました。
日本における児童養護はこれらの救済事業や相互扶助によって、大人と同じように恩恵的・隣保相扶的な救済としてその歩みを始めることになりました。その後も和気広虫による孤児の養育、江戸時代に養育館として遊児厰(ゆうじしょう)が作られるなど、いくつかの事例があるのですが、大きな改革は近代を待たねばなりませんでした。
国家的な対策
明治時代に入ると様々な取り組みが行われるのですが、初期はまだ自助努力がメインです。1871年に棄子養育米給与方(養育者に対する支給を成文化)、1873年に三子出産の貧困者への養育料給与方(三つ子を出産した家庭に一時金を見舞う)、1873年に恤救規則(じゅっきゅうきそく)が制定されました。「恤」は「憐れむ」や「救う」といった意味を持つ漢字です。
恤救規則は「人民相互の情誼」といった相互扶助を念頭に置いたもので、「無告ノ窮民」(身寄りがない貧困者)を対象とする救済策でした。内容としては生活に必要な最低限の米を支給するというものですが、これが15歳以下の孤児(後に13歳以下の孤児となる)に限られており、また国民の視点から見ても庇護を受けるのは恥という概念があったため、貧民救済策としては充分ではありませんでした。
しかし、少しずつ先へは進んでいきます。留岡幸吉らの努力により非行少年の教育と保護を目的とする感化法が制定されたのは1900年のこと。全国に設立された感化院は現在の児童自立支援施設の前身となります。また、1916年に工場法が施行されることで、『女工哀史』に描かれるような長時間労働に従事する女性や子どもの救済が、不完全ながら行われるようになりました。
1929(昭和4)年、貧困問題への対策として、恤救規則に続くものとして救護法が制定されます。貧困の公的救済としては恤救規則よりはるかに進んでおり、扶助内容の明記、救護施設による救済、65歳以上の高齢者や13歳以下の子ども、妊産婦、障害者といった援護対象の拡大が盛り込まれています。しかし、子どもに関しては「扶養義務者による養育が行えない場合」という制限があり、やはり万全とはいえません。
生計を補助するために子どもを使うという問題は根深く、これを解決するために1933年には児童虐待防止法が制定され、虐待・放任をはじめとして14歳未満の子どもを労働に従事させることを禁じ、条件付の看護命令や、私人および施設への子どもの委託を行うことが定められました。それでも母子心中が多発したため、1937年には母子保護法が制定されます。
民間の慈善救済事業
国家による救済が充分ではなかったため、明治期には宗教関係者や民間の篤志家による救済事業が展開されるようになりました。もちろん、これは欧米の思想に影響を受けたものです。それぞれの運動家と施設について時系列順にまとめてみていきましょう。
- 松方正義……近代日本における最初の孤児院といえる日田養育館を設立。私財をなげうって孤児、棄児、貧児の保護を行う。
- 岩永マキ……仏人のド=ロ神父の下で救護活動を行う。孤児の家「子部屋」を設立し、これが浦上養育院の前身となる。
- 松野クララ……日本最初の官立幼稚園である東京女子師範学校附属幼稚園の主任保母を務め幼稚園教育の基礎を築いた。
- 佐野常民・大給恒……博愛社。西南戦争勃発時に設立、後の日本赤十字社。
- 石井十次……キリスト教の信仰に根ざした岡山孤児院を設立し、戦争で孤児になった子どもの養護を行う。通称「孤児の父」。
- 赤沢鍾美……自宅の私塾を新潟静修学校として、日本で最初の常設託児所を創設する。
- 石井亮一……滝乃川学園。日本で最初の知的障害児施設を設立し、知的障害児教育の父と呼ばれる。
- 留岡幸助……家庭学校。巣鴨にて非行少年に対する感化教育を実践する。
- 野口幽香・森島峰……二葉幼稚園。東京四谷のスラム街でフレーベル教育を実践する。
- 伊沢修二……楽石社。日本で最初の言語障害児施設を設立する。
- 柏倉松蔵……柏学院。日本で最初の肢体不自由児施設を設立する。
- 高木憲次……整肢療護園。肢体不自由という言葉を提唱し、肢体不自由児の父と呼ばれる。後に日本肢体不自由者リハビリテーション協会を設立。
- 糸賀一雄……近江学園。障害者福祉に取り組み、障害者福祉の父と呼ばれる。
こうした民間の取り組みの数々は、昨今の児童福祉施設の礎として受け継がれています。