教育とは何か
保育と教育は別物です。教育とは「教える」「育てる」の二面性をもった言葉であり、ある人間を望ましい状態にするために心と体に働きかけ、知識や文化を次世代に伝え、人格形成を助ける営みのことをさします。
全ての子どもには生まれたときから生命を守られ生存する権利、そして発達する権利があります。たとえば日本では1951年に子どもの人格や人間的権利を保障するために「児童憲章」が制定され、子どもの人権に関する規定が固められてきました。
しかし子供一人では生きることも発達することも困難ですから、子どもの最善の利益を守る大人の存在が必要になります。そして、大人たちが子どもに働きかけることで身体的・精神的発達を守り、促すことを目的に教育が営まれているのです。日本では子どもの権利条約や教育基本法にこれらの教育の目的が掲げられています。
教育思想の変遷
教育の始まり、古代ギリシャ時代
教育はいったいいつから始まったのでしょうか。
歴史を紐解くと、教育史が始まったのはギリシャ時代と言われています。この頃のギリシャは多数の都市国家ポリスが乱立する時代で、スパルタ教育で有名なスパルタでは強い戦士として鍛え上げられるための厳しい訓練が行われましたし、アテネでは調和的発達のための体操や音楽による情操教育が行われていました。
対話と問答により哲学を磨き無知の知という概念を唱えた古代ギリシャのソクラテス、ソクラテスに影響を受け学園アカデメイアを創設し、音楽、体育、読み書き、幾何学、天文学などの様々な学問を教えたプラトン、その弟子であり万学の祖と呼ばれるアリストテレスなど、この時期には多くの哲学者が教育の柱を作っていったことが伺えます。
宗教教育の中世
時代は下り、やがてヨーロッパをキリスト教が席巻するようになると、学問と宗教は次第に融合し、僧院学校で教義を教え諭す教育が行われるようになりました。ここでは読み書き計算と基礎教育が行われた後、七自由科が授けられ、それらを全て修めると、学問の最高位たる神学が教授されることになりました。
また、ギルドの存在も忘れてはなりません。中世では徒弟制度のもと、後継者の養成と訓練を行うため、親方の家に住み込み技術を学ぶ師弟学校が開設されました。この頃は騎士となるための教育も行われ、イタリアのボローニャでは最古の大学といわれるストゥディオが設立されます。ストゥディオでは神学、法学、医学、文学の4学科が教えられ、多くの知識人が輩出されました。
ルネサンスから近代へ
14世紀頃からイタリアで始まったルネサンス(文芸復興)を経て、学校・学問の発達が進みます。中でも大きかったのはグーテンベルクによる活版印刷技術の確立です。活字文化の成立は大学の大衆化、民衆教育の普及など、民衆に広く学問を開く下地となりました。
一方、産業革命の勃興によって近代へ移り変わると、大人は工場へ働きにでかけ子供は町に残るといった形で、親子が離れ離れに生活するようになります。しかし、町に残された子どもたちによる犯罪の増加や大人の目が失われたことによる道徳の荒廃などが問題となり、大人たちは子どもに教育を施そうと考えるようになりました。
近代教育学の立役者たちについて見ていきましょう。主要人物にはLesson3-1でも触れていますので、ここではそこに記さなかった重要人物たちを取り上げていきます。
コメニウスは近代教育学の父と呼ばれるチェコの思想家で、ラテン語ではなく母国語を使った教育を行ったり、生徒を学年別に分けるなど、当時としては画期的な方法をいくつも編み出しています。系統的な教育学を提示した世界初の書物『大教授学』や世界初の絵入り教科書『世界図会』などもコメニウスの手によるものです。
イギリス経験論の父とも呼ばれる哲学者のジョン・ロックは、子どもの心は白紙のようなものであり外部からの影響でいかようにも形成されるという白紙説(タブラ・ラーサ説)を唱え、『教育に関する若干の見解』の中で「健全な体に宿る健全な精神」という言葉を記しています。
やや時代は進み、Lesson3-1でも触れたペスタロッチというスイスの教育実践家が現れ、孤児たちを収容する施設をスタンツに建設しました。彼はそこでの実践記録を残し、形・数・語を基礎とする教授法や子どもの人権の重要性を説いています。その弟子であるドイツの哲学者・教育学者ヘルバルトは、大学教育の場で教育学を整理・発展させ、「教育的教授」という概念を提唱しました。著書『一般教育学』の中では「明瞭・連合・系統・方法」という4段階教授説を論じ、知識とともに道徳的品性が陶冶されると考えられました。
現代に近くなると、デューイの後を継いだアメリカの教育学者にキルパトリックがいます。彼は「学習は主体的に考えて行動することで成り立つ」という生活経験論を主張し、各自が目標を決めて行動するプロジェクト・メソッドを確立しています。
同じアメリカにて、認知心理学の生みの親として知られるブルーナーは、知識を構造として学習させると子どもたちが科学的概念を自分たちの力で発見することに気付き、発見学習を提唱しています。